これまで行政保健師、中学養護教員、子育て支援事業、産後ケア施設事業、母子特化型訪問看護事業などに携わり、私自身3児の母で現在も子育てに奮闘中。多くの方々の温かいご支援に助けられてきたからこそ、もっと確かな支援の仕組みを実現する使命に目覚めました。

3児の母・子育て奮闘中
行政保健師を経験後、臨時採用で中学校の養護教員をしていました。自身の出産を機に退職し、第一子が1歳の頃にコロナ禍へ突入。病院から軒並み母親学級が無くなったのをきっかけに、自ら子育て支援事業「とらちる」(Trust Children)を立ち上げました。事業と育児を両立させながら、現在3児の母親です。
2025年4月には、助産師である姉と香南市初の "産後ケア施設" を共同設立。同年12月から姉が高知県初の "母子特化型訪問看護事業" を開始。その際、私も初期メンバーとして立ち上げに加わりました。若いお母さま方を心身両面から本気で支援するには、現場の課題に光を当てる必要性を痛感し、子育て当事者として現場重視の政策を掲げるに至りました。
| 生年月日 | 1991年10月12日 |
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| 出身地等 | 高知市生まれ/現在は祖母の住む香南市に居住 |
| 保有資格 | 看護師/保健師/IPHI妊婦と乳幼児の睡眠コンサルタント |
| 事業実績 |
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| 地域活動実績 |
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米ソ冷戦が終結し、日本のバブル経済が崩壊した1991年、4人兄弟の末っ子として高知市で生まれる。 体を動かすことが何より好きで、幼少期は1歳前から水泳を始め、小学3年生でバスケットボールを開始した。
6年生になると、高跳びで133cmの記録を出し、大会で1位に輝くことができた。そういった成功体験が、挑戦する喜びに目覚めた原点である。


バスケットボールに打ち込んだ学生時代。 その一方で、勉強への自信は少しずつ失っていった。 将来への希望も描けないまま、 母が助産師で、姉2人も同じ道を目指していたことから、 自分も漠然と助産師になる道を選んでいた。
しかし受験はことごとく失敗し、一浪。 この挫折をきっかけに、初めて「学ぶこと」と真正面から向き合う。 この経験が、のちに社会人になっても学び続ける原点になることを、 当時の私はまだ知らなかった。
医療・母子支援の現場を志し、行政保健師として公務員になる。 しかし、環境や人との関わりの中で、自分のあり方を見つめ直す時間を経験する。
思うように力を発揮できず、立ち止まる選択も重ねたが、 その時間が「支えるとは何か」「働くとは何か」を深く考えるきっかけとなった。
その後、中学校の養護教諭として現場に立ち、 第一子の妊娠・出産を機に退職。 決して順風満帆ではなかった就職期の経験が、 私の支援活動の原点となっている。


結婚して第一子を授かると、家族を「一つのユニット」としてとらえるようになる。
この家族で、どんな生き方をしたいのか。 どんな子育ての時間を過ごしたいのか。 夫婦で何度も対話を重ね、価値観をすり合わせていった。
その中で少しずつ "希望" が見え始める。 学びの幅を広げるにつれ、これまで自分がとても狭い世界の中で生きていたんだと気づくことができた。
第一子が1歳の頃、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、病院から母親学級がことごとく無くなっていった。
それをきっかけに、子育て支援事業「とらちる」(トラストチルドレン:Trust Children)を立ち上げ、マタニティクラスを開始。現在3児の母。
2025年、助産師である母と姉とともに、長年の夢だった産後ケア施設を開設し、現在に至る。

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